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2018/08/20

ワシントン会議をわかりやすく解説!目的や締結条約、語呂合わせを紹介

歴史の授業で習ったたくさんの国際会議を覚えていますか。
有名なウィーン会議、ニケーア公会議などなかなか覚えるのは難しいものです。
特に日本にもかかわりのあるワシントン会議は近代史においても重要な世界会議のひとつです。
今回は、そんなワシントン会議についてみていきましょう。

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目次

「ワシントン会議」とは

概要

ワシントン会議は、1921年から1922年に開催された国際会議です。
開催を提唱したのは、当時のアメリカ合衆国大統領ウォレン・ハーディング、そのため開催地はワシントンD.Cとなりました。

この会議は、第一次世界大戦後の世界情勢についての新たな枠組みが協議され、三つの大きな条約が結ばれることになりました。
その中の一つはワシントン海軍軍縮条約で、世界初の軍縮会議としても知られています。

背景

ワシントン会議の背景

1918年、第一次世界大戦が終結したのち、新たな脅威として関心を持たれていたのは日本でした。
第一次大戦では、ヨーロッパの国々に比べ負担が少なく、日本は中国へ勢力を伸ばし、軍備を拡張していった時代です。

また、世界の情勢も変わっています。
ヨーロッパではなく、アメリカ合衆国が力をつけ、その中心になり始めていました。

第一次大戦後の世界の平和をつかさどる平和機関として、国際連盟が発足されていましたが、アメリカは不参加を通します。
こういった情勢の中、アメリカが主導し、世界の枠組みを決める必要があり、その大きな主題は拡大する日本を抑えることにありました。

参加国

ワシントン会議の参加国は、太平洋と東アジアの権益にかかわる9か国が参加します。
具体的には日本・イギリス・アメリカ・フランス・イタリア・中華民国・オランダ・ベルギー・ポルトガルです。

また、この時ソ連は招待されませんでした。

日本側の全権

この会議における日本の全権をまかされたのは、のちに内閣総理大臣にも就任する加藤友三郎です。
彼は海軍大臣として長く務め、ワシントン会議にのぞみます。

当時の原首相は国内のことは私に任せ、ワシントン会議では「思う存分やってください」と全幅の信頼を得ていたといわれています。
そのやせた体つきを「ロウソク」と揶揄する声もありましたが、ワシントン会議で軍縮に賛同したことで日本の「好戦国」というイメージを拭い去ることに成功します。

侮蔑的なニュアンスを持っていたロウソクというあだ名は一転、「危機の世界を明るく照らす」と称されました。

<下に続く>

ワシントン会議で結ばれた3つの条約

続いて、ワシントン会議で結ばれた三つの条約について詳しく見ていきましょう。

四カ国条約

1921年、ワシントン会議によって締結された四か国条約は、第一次大戦とロシア革命によってアジアあるいは太平洋地域における勢力が変わったため、新たに領土問題を平和的に解決しようとして結ばれた条約です。

そのため、第一次大戦の戦勝国であるアメリカ・イギリス・日本・フランスの四か国で結ばれました。
領土問題の解決の裏に隠された一番の目的は、アメリカによる日英同盟の妨害でした。
当時、日本は大国イギリスと日英同盟という軍事同盟を結んでいます。

しかしアメリカは拡大する日本の力を押さえたいと思っているため、この日英同盟は邪魔でした。
そこで新たな枠組みを決めなおすとし、四か国で新しい条約を結ぶため日英同盟は必要なしとの方向へ持っていくことに成功します。

四か国条約では、参加国の平和的な協力は約束されたものの、日英同盟のような強固な協力関係は結ばれなかったため、日本が孤立する土台を作ることになりました。
各国のこの地域における領土は保証され、勢力関係は保留になったまま、日英同盟の破棄が大きな成果となった条約です。

九カ国条約

この条約は主に中国に関する条約で、権益にかかわる九か国が参加して結ばれています。
具体的には、アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリア、ベルギー、ポルトガル、オランダ、中国の以上九か国です。

日本は第一次大戦でドイツの支配地となっていた中国山東省を奪い、支配地とします。
そのとき、アメリカと無駄な争いをしなくても済むように石井ライジング協定が両者の間に締結されました。

これは、アメリカ側は日本が中国に特権的な立場でいることを認めることを承認し、代わりに日本側はアメリカの主張する門戸開放を飲むという内容でした。
しかし世界大戦が終わった今、日本の中国における特権的立場を認めることができなくなります。

そこで、新たに九か国を巻き込み、新しい中国での枠組みを作ることになった条約が九か国条約です。
ここでは山東省の還付が決められたほか、石井ライジング協定の破棄も決められました。

また各国の門戸開放機会均等が決定されます。
これにより、どの国も中国においては解放されていて、均等に機会を与えられることになります。

裏を返せば競争社会、強い国が勝つという原則が取り決められたと言えます。

ワシントン海軍軍縮条約

ワシントン海軍軍縮条約

最後にワシントン会議で決められた条約がワシントン海軍軍縮会議です。
これはその名のとおり、各国の軍備を縮小する世界初の軍縮の取り決めとなりました。

しかし、これも条約の中身を見てわかるように、主に拡大する日本海軍の力をなんとかそぎ落とそうとするアメリカ側の意図が大きくかかわっています。
参加国はアメリカ・日本・イギリス・フランス・イタリアの5か国です。

具体的に定められた海軍軍艦の割合を見てみましょう。
アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアの順番にすると、その比率は5:5:3:1.67:1.67となりました。

アメリカやイギリスに対し、日本は半分強の軍艦しか持てないということが決められたことになります。

<下に続く>

ワシントン会議の目的

では、ワシントン会議の目的をみていきましょう。
ワシントン会議の目的には、以下のものがあります。

  1. 日英同盟の破棄と日本のアジア進出の妨害
  2. イギリス影響下の中国への日本進出を阻止
  3. 米英との海軍条約締結と満州・モンゴルの支配承認

続いて、ワシントン会議の目的を、それぞれ詳しくみていきます。

ワシントン会議の目的①:日英同盟の破棄と日本のアジア進出の妨害

ここまで見てきたように、ワシントン会議は主催国であるアメリカの思惑が大きくかかかわっています。
そのアメリカの主な目的は日英同盟の破棄と、力をつけてきた日本を抑え込むことにありました。

直接破棄させることはできないため、新しく四か国条約を結ぶという形をとって日英同盟を破棄させることに成功します。
また、石井ライジング協定で決められてあった日本の中国支配への特権的立場を解消させることにも成功しました。

これにより当時の日本の中国進出の道は難しくなり、大戦のどさくさに紛れて奪い取った山東省も返還させられています。
一方、これら中国の権益に関する取り決めにソ連が加わっていなかったことで、ソ連は条約に縛られることなく中国への進出をすることになりました。

また、軍縮においては日本政府からの指令を傍受し、暗号解読に成功していたため、日本が容認できる最小の海軍比率を提案、常に会議を有利に進め、日本の海軍力を落とすことに成功しました。

ワシントン会議の目的②:イギリス影響下の中国への日本進出を阻止

ワシントン会議とイギリス

そもそもイギリスは第一次世界大戦の負担により、疲弊しています。
そこで、世界全体が軍部拡張に進まれると困るということで、軍縮を強く望んでいました。

軍縮を決めることで、予想されるアメリカとの軍事費競争を避ける狙いでした。
また、ここまでに手に入れたアジアでの権益を守るということを第一に、香港や九竜半島周辺あるいはシンガポールなどの自治領を確保することを目的に会議にのぞんでいます。

中国進出をもくろむ日本を抑え、確実に自分たちの利益を守ることがイギリスの主な主題であったと言えるでしょう。

ワシントン会議の目的③:米英との海軍条約締結と満州・モンゴルの支配承認

日本においても米英との海軍条約締結は目的の一つにありました。
不必要な軍備拡大は日本においても負担です。

また軍縮によって、日本政府自身コントロールしきれないほど軍が大きくなることを阻止しようとしていたとも考えられています。
しかし、暗号が解読されたため日本は予定していたよりも多くの譲歩を引き出される結果となりました。

一方、第一次世界大戦の間に獲得した山東省は変換することとなりましたが、それ以外の中国での利権や影響力を維持し、今後の中国進出への足掛かりを残しておくことも大きな目的であったと考えられています。

<下に続く>

ワシントン会議における日本の外交姿勢

世界大戦後、世界情勢は大きく変わり、特に強大化していたアメリカとは対立したくないというのが日本の考えでした。
アメリカが日本に関心を持ち、その拡大を危険視していたため、あえて対立を深めず協調路線を取りたいというのが日本の基本的な外交姿勢であったと言えます。

また中国国内でも反日感情が高まっており、中国においても野心をあからさまにせず、全体として強調していこうと考えていました。
また、この姿勢は内政的にも意味がありました。

当時拡大していく軍、特に陸軍の強大化を押さえたい日本政府の思惑や、多額の予算が必要な海軍の拡大を抑える目的を持っていた日本政府にとって、軍縮は歓迎すべき風潮でもあったからです。
世界、特に中国に野心を見せることなく、まずは大国となりつつあるアメリカと仲良くしていくというのが日本の外交姿勢だったといえます。

<下に続く>

ワシントン会議の覚え方【語呂合わせ】

ワシントン会議のごろ合わせ

それでは最後にワシントン会議の覚え方を語呂合せでみてみましょう。
まずは年号を覚えるシンプルな語呂合わせです。

ワシントン会議、引くに引(1921)けないハーディング
ハーディングは、もちろん主催者となったアメリカ合衆国大統領ウォレン・ハーディングのことです。

続いて、もう少し内容も盛り込んだ語呂合わせです。
行く、ついにうれしくワシントン

「行く、ついに」で1921年です。
「うれシク」で四か国条約と九か国条約を盛り込んでいます。

最後の「ワシントン」はワシントン会議でもあり、ワシントン海軍軍縮条約を指しています。
三つめは、かなり内容が盛りだくさんになっている語呂合わせです。

特に1日ワシントン、派手に軍縮、敷く日英

「とくにいちにち」で1921~2年の年号を表しています。
「はでに」はウォレン・ハーディング大統領、「軍縮」はワシントン海軍軍縮条約です。

「シク」は四か国条約と九か国条約、「日英」で日英同盟の破棄まで盛り込まれた語呂合わせです。

<下に続く>

ワシントン会議をわかりやすく解説!目的や締結条約、語呂合わせを紹介のまとめ

歴史の授業で学ぶと、一つ一つの出来事はぶつ切りに覚えてしまいがちです。
第一次世界大戦があり、第二次世界大戦がある、その間に起こっている緩やかな新しい流れを中心にワシントン会議がありました。

ワシントン会議で確立された世界の体制はワシントン体制として第二次大戦が勃発するまで世界を支えていくことになります。
そこには各国同士の思惑があり、力関係の駆け引きがあります。

現在においても同じことが言えるのではないでしょうか。
戦後70年を過ぎ、私たちは戦前とも戦時中とも違う時代を生きています。

しかし、歴史はつながっています。
これらの歴史の中で起こったさまざまな変化は、私たちの今後を作っていくでしょう。

そうした私たち自身の未来を知るためには、今日に至るまでの歴史を紐解くのが近道なのではないでしょうか。

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