みんなのお金ドットコム | お金のコトをもっと身近に
2019/02/04

徳川家康の死因は天ぷら?暗殺?4つの説と有力な説を考察

歴史上の人物のなかでとても有名な”徳川家康”。彼には、死因4つの説があると言われています。
このページでは、死因4つの説だけではなく、徳川家康のプロフィールについても取り上げていきますので、歴史に詳しくなりたい人や江戸時代に興味のある人はぜひ目を通してみてください。

Large pexels photo 1124179

徳川家康の死因には諸説ある

織田信長、豊臣秀吉のように、歴史上の有名人物として語られ続ける徳川家康。
実は、家康の死因には諸説あると言われています。

もちろん今になっては、真実はわかりませんが、この記事では死因とされている説だけではなく、その中でもっとも有力な説を解説し、徳川家康のプロフィールも併せて取り上げていきましょう。

”歴史について詳しくなりたい””徳川家に興味がある”という人などは、本記事をぜひ参考にしてくださいね。

<下に続く>

徳川家康の死因4つの説

徳川家康の死因とは

徳川家康の死因4つの説は、以下の通りです。

  1. 胃がん
  2. 関ヶ原の合戦
  3. 鯛の南蛮漬け
  4. 天ぷら

それぞれの死因について具体的に解説します。

説①:胃がん

まずは”胃がん”の説についてみていきましょう。
死ぬ間際の感じからすると胃がんが死因とされているようですね。

家康は”サナダ虫がいる”と主張したようですが、それは胃がんだったようです。
”痩せすぎ””吐血””お腹にシコリあり”など当時の資料に残されていることから、胃がんでは?となったようですよ。

説②:関ヶ原の合戦

関ヶ原の合戦ではすでに死亡していたなんて説もあります。
すでに殺されており、影武者を使っていたなんて話もありますよ。

家康のそっくりさんは、いつも一緒にいたという説もありますが、家康のクセを見分け、殺害したという話がありますね。
現在ではこの”関ヶ原の合戦ではすでに死亡していた説”は否定されているようですが、真実は当時の人以外に誰もわかりません、もしかしたら、当時の人すらも真実を知らないのかもしれません。

説③:鯛の南蛮漬け

鯛の南蛮漬けを食べすぎて死んだ説もあります。
これは徳川家康の死因としてはたして正しいのでしょうか。

長生きで有名な徳川家康ですが、鷹狩りをしているときに倒れたという話があります。
そしてお見舞いに来た人が鯛の南蛮漬けを持ってきて、それを徳川家康が食べてお腹を壊し、死因と言われているのでしょう。

この説も考えにくいため、徳川家康の死因ではないとされていますが、説としてはあります。

説④:天ぷら

徳川家康の死因として、もっとも有名なのは、天ぷらではないでしょうか。
天ぷらの食べ過ぎが死因とは現代ではなかなかありませんが、歴史上ではあったかもしれません。

当時の天ぷらは今の天ぷらとは違うものですが、油自体も大変貴重なものであり、なかなか食べられない高級品だったのでしょう(もちろん今も高級な食べ物ではありますが)。
好奇心も旺盛だった徳川家康は、新しい食べ物に目がなかったようですね。

<下に続く>

徳川家康の死因で最も有力な説は?

上記の中で徳川家康の死因で最も有力な説はどれでしょうか。
それは胃がんと言われていますね。

食あたりではなく、当時の医者によるとお腹にしこりがあったようです。
徳川家康は健康に気を遣っていたようですが、医者の言葉に耳を傾けなかったようですね。

猛毒として知られるトリカブトを自身で調合し、その薬を飲み続けていたなんて話もあるそうですよ。
ほかの徳川家の面々もがんが死因と言われていますね。

<下に続く>

徳川家康について【プロフィール】

徳川家康の死因含めプロフィールもチェック

概要

徳川家康の死因についてひと通りまとめてきました。
ここからは徳川家康のプロフィールを解説していきましょう。

生まれたのは1543年1月31日。
諸説死因がありますが、亡くなったのは1616年6月1日、75歳でした。

今の愛知県岡崎市に生まれ、室町・安土桃山・江戸時代を生きた人です。
幼名の竹千代は有名ですよね。

その後、松平元信、元康 、家康 、徳川家康と名前が変わります。
”鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス”という有名なコトバもありますね。

ちなみに栃木県にある”日光東照宮”は、徳川家康を祀る場所でもあります。

人物像

そんな徳川家康は、健康に気をつかい質素だっといわれています。
洋服は同じものをずっと着続けていたという話もあります。

また、身長は当時の平均である157cmだったそうな。
ちなみに織田信長は、165cmと高身長だったそうですよ。

性格は”ガマン強い”というのが定説です。
温厚な性格の人物として知られていますよね。

晩年は落ち着いたイメージがありますが、若いころはそうでもなかったようです。
どちらかといえば短気であり、感情的な言動もあったそうですよ。

成し遂げた偉業

徳川家康の成し遂げた偉業は何でしょうか。
まずは戦国時代に終止符を打ったことでしょう。

天下統一し、200年以上続いた江戸幕府を成立しました。
当時の日本を長い期間平和にしたのは、徳川家康の偉業です。

また、戦もほとんど負けたことのない人物でもあります。
負け戦は三方ヶ原の戦いのみとされており、人材に恵まれていた説もありますが、戦いは強かったと言えるでしょう。

最後の言葉

徳川家康の最後のコトバは諸説ありますが、”先に行く あとに残るも 同じこと 連れて行けぬを わかれぞと思う”というのがありますね。
自分は死ぬけれど他の人は道連れにしないといった意味でしょうか。

徳川家康の死因4つの説などご紹介しましたが、どのような思い出この辞世の句を述べたのでしょう。
それは家康本人にしか、わからないことです。

逸話

徳川家康の逸話もみていきます。
まずは江戸城についてですね。

江戸城を建てたのは、風水をベースにしていると言われています。
僧のアドバイスを聞き、江戸城は作られました。

ちなみにこの僧は、100年以上生きたそうですね。
当時では、かなりの長寿ではないでしょうか。

また、天下取りの相と言われる”マスカケ線の手相だったようですよ。
個性派であり、強運だからこそ、成功をおさめる手相のようです。

面白い逸話としては、う○こを漏らした自分の絵を描かせた話です。
その自画像は”しかみ像”というものであり、戦で逃亡しう○こを漏らした自分を反省するものだったのでしょう。

<下に続く>

徳川家康の死因は天ぷら?暗殺?4つの説と有力な説を考察のまとめ

徳川家康の死因のまとめ

徳川家康の死因は天ぷらなのか、それとも暗殺なのか、4つの説と有力な説を考察してきました。
死因としては、胃がん・関ヶ原の合戦・鯛の南蛮漬け・天ぷらなどが説としてありますね。

死因の有力な説は、胃がんと言われています。
健康的な生活を送っていた徳川家康は、医者のアドバイスを聞かなかったようです。

徳川家康のプロフィールもまとめました。
概要・人物像・成し遂げた偉業・最後の言葉・逸話についてですね。

人物像・成し遂げた偉業・最後の言葉・逸話は上記で解説してきた内容以外にもさまざまあるようですので、興味のある人は是非チェックしてみてください。
歴史上の人物について調べることは、とても楽しいですよね。

徳川家康だけではなく、織田信長や豊臣秀吉など、武将たちの死因やプロフィールについて見識を深めてみませんか。
学校の教科書では教えてくれなかったエピソードを発見できるかもしれませんよ。

ほかの歴史に興味のある人や徳川家に関心の湧いた人は、自分で調べてみましょう。

Thumb minkane logo
written by

「お金のコトをもっと身近に」というミッションで、みんなのお金ドットコム(みんかね)を運営しています。
投資・節税・保険・ローン・クレカ・節約などのテーマの情報を各領域の専門家や編集部を通して記事配信していきます。

関連記事
おすすめ記事
Logo
みんかねの
おすすめ記事がLINEに届く!
Add line
Logo
みんかねの
おすすめ記事がLINEに届く!
Add line