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2019/03/21

ボスニア内戦の原因と対立図、終結するまでの流れを詳しく解説

1990年代初め、旧ユーゴスラヴィアで起こったユーゴスラヴィア紛争をご存知ですか。
社会主義国家としてユーゴスラヴィアを形成していた各国が独立をめぐり争った紛争の中でも、特に民族対立が激しかったボスニア内戦についてご紹介します。
民族浄化という言葉が有名になるきっかけにもあったボスニア内戦では、多くの犠牲者が出ていて、今でもその傷跡は完全になくなったとは言えません。
このような悲劇が起こる中、国連を含む世界はどう対処したのでしょうか。
内戦の原因や流れとともに、世界の動きも合わせて考えてみましょう。

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「ボスニア内戦」とは

ボスニア内戦という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
すでに遠い歴史の中の出来事と思う人もいるかもしれませんが、この紛争は1990年代に起こったボスニア=ヘルツェゴヴィナでの出来事です。

1991年にソヴィエト連邦が崩壊し、世界は冷戦の終結に向かっていました。
社会主義国家であったユーゴスラヴィア連邦からの独立を求めたボスニア=ヘルツェゴヴィナにおける民族対立の激化によっておこった内戦が、ボスニア内戦と呼ばれる紛争です。

この時争った民族は大きく三つあります。
セルビア人、クロアチア人、ムスリム人(ボスニャク人)です。

この内戦は深刻化し、ボスニア紛争を含むユーゴスラビア紛争は第二次世界大戦後のヨーロッパでは最大規模の紛争になっています。

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ボスニア内戦の原因と対立図式

まずはボスニア戦争の原因と対立構造を見てみましょう。

原因

ボスニア内戦のあったサラエヴォ

第二次世界大戦後、東欧ではチトーを指導者としたユーゴスラヴィア連邦が発足します。
ユーゴスラヴィア連邦は社会主義政策をとりながらも、ソ連とは距離を置いた独自の体制で平和を築いていましたが、もともとは多くの民族を含む「モザイク国家」でした。

カリスマ的リーダーであったチトー大統領の死後、その基盤は揺らぎ、社会主義の衰退とともに東欧革命の波がやってきます。
1991年にはスロヴェニアとクロアチアがそれぞれ独立を宣言、マケドニアにボスニア=ヘルツェゴヴィナが続きます。

これらの動きに対し、ユーゴスラヴィア連邦の首都を抱くセルビアが独立に反対し、モンテネグロとともに、独立と存続をかけて争うことになります。
スロヴェニア、クロアチアなども独立に際し紛争化しますが、特に深刻な民族問題を持っていたのがボスニアでした。

ボスニア=ヘルツェゴヴィナにはユーゴ存続を望むセルビア人、独立を望むクロアチア人と、独立を望み、宗教が違うムスリム人が三つ巴となっていたのです。
このことから、ユーゴスラヴィア紛争の縮図のような構図になったボスニア内戦が始まります。

対立図式

それぞれの民族について、見てみましょう。
ボスニア内戦がおこった東欧は、主にスラブ民族が暮らす土地です。

スラブ民族の中にも、それぞれ言語や文化などに違いがあります。
ユーゴ存続を望んでいたセルビア人は、セルビア正教会を信仰するキリスト教徒が中心で、中世にはセルビア王国も樹立した人々です。

ユーゴスラヴィアでは、セルビア王国の首都ベオグラードがそのままユーゴスラヴィアの首都として栄えていました。
一方、クロアチア人はカトリックの人々が多く、歴史的にもセルビア人に対し反発心がありました。

実際、クロアチア独立後のEU加盟は早く、心情的に西欧に親しみのある民族であるということができます。
もう一つのムスリム人とはどういった人々でしょうか。
中世にはセルビア王国など、スラブ系の国が建国された東欧ですが、オスマン帝国の拡大により、長くオスマンの支配を受けることとなります。

その歴史の中で、南スラブ人でイスラム教に改宗した人々のことを、紛争当時ムスリム人(現在のボシュニャク人)とよんでいました。
彼らは、元は同じスラブ民族でしたが、イスラム化することにより、独自の文化や言語、宗教観を作り上げてきた人々であり、彼ら自身の国としてボスニア=ヘルツェゴヴィナの独立を求めるようになります。

また、オスマン帝国の支配下では、キリスト教徒であるほかの民族に比べ優位な立場に置かれていたことも、のちの民族間の反感をあおることにつながりました。
文化や言語、宗教が違う民族が、それぞれの思惑を持ちながらユーゴ解体後の世界を模索する中で、互いに対立を深めていくことになります。

ボスニア内戦では、特にセルビア人とムスリム人の対立が根深く、そこにクロアチア人が独自の立場で自分たちの独立を求めるという流れになっていきました。

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ボスニア内戦の流れ

それでは、もう少し細かくボスニア内戦の流れを見ていくことにしましょう。

セルビア悪玉論

バルカン半島を含む東欧の長い歴史の中で、中心的存在であったセルビアが、ボスニア内戦を含むユーゴ紛争で悪者になってしまった経緯があります。
その根本には、かつて支配者的存在であったセルビアに対する、多民族からの反感があったと考えられています。

社会主義が後退していく時代の中で、ユーゴスラヴィアの継続を望むセルビア人に対し、大セルビア主義を背景にクロアチアやボスニアを支配しようとするセルビアというストーリーがアメリカを中心に西欧諸国で作られていくことになりました。
当時盛んになっていた民族主義の考えにのっとり、セルビアを侵略者として扱う風潮は広がりを見せ、多くの虐殺や戦争犯罪を犯したと伝えられました。

実際には、これらの事件はクロアチア人、ムスリム人にもあり、三者がそれぞれに加害者であり被害者となった内戦であることがわかっています。

三つどもえ内戦

ここまで見てきたように、ボスニア内戦はセルビア人、クロアチア人、ムスリム人の三つ巴になって起きた内戦です。
それぞれの民族の違いや、お互いの反感感情は長い歴史の中で作り上げられたものです。

セルビア人とクロアチア人の間で、支配地域が確定してくると、今度はクロアチア人とムスリム人の間でも対立が深まります。
この対立はクリスト教徒イスラム教の対立にもなぞらえられ、激化していき、三つ巴が激しくなります。

内戦と国際社会の関連

ボスニア内戦の三者には、それぞれ同情的、あるいは支持をする国々がありました。
ロシアは歴史的なつながりもありセルビアを支持、トルコをはじめ中東諸国はムスリム人を支援します。

一方、西欧諸国はクロアチア人に親和性があり、民族主義の高まりからセルビア人を悪に仕立て弱体化を図りたいアメリカと、諸国の思惑もバラバラでした。
しかし、ソ連崩壊後すぐのロシアも、アメリカと対立するわけにはいかず、湾岸戦争後のアメリカは、中東との関係が悪化するのを嫌がっていました。

明石特別代表の調停

1993年には明石康が旧ユーゴ問題担当・事務総長特別代表に任命され、問題の解決にあたります。
明石は無力ではなく政治的な話し合いによる解決を望み、セルビア悪玉説にとらわれず、三者と一定の距離を保ちながら和平交渉を続けます。

しかし決定的な和平条約が締結されることなく、セルビア空爆を唱えるアメリカを中心に、NATOによるセルビアへの空爆が行われます。

NATOの空爆

NATOによるセルビアへの空爆は1994年11月に始まりました。
1995年には一度停戦もされますが、停戦後すぐにセルビア人勢力による攻撃が開始されます。

その内容は、国際連合によって安全地域になっていたサラエヴォの市場をセルビア人勢力が爆撃し、38人の市民の命が失われるという事件です。
この爆撃は国際的にも大きな批判を招き、NATOはデリバリット・フォース作戦と呼ばれる大規模な空爆作戦を実行に移します。

この空爆は1995年8月30日から9月14日まで続き、対抗する力を失ったセルビア人勢力は和平交渉に応じる形となりました。

終結:デイトン和平の成立

1995年11月、アメリカのデイトンにある空軍基地でボスニア=ヘルツェゴビナ、クロアチア、セルビアの各代表者が終結し、ユーゴ和平会議が開催されます。
この時、各国がメディアを通じた駆け引きができないように、空軍基地が選ばれたとされています。

この協議が終了し、同じ年の12月にフランス・パリで合意文書に正式に調印され、内戦は終結します。
この合意をデイトン合意と言います。

デイトン合意により、領土配分も決められます。
ボスニア=ヘルツェゴヴィナのうち51%を、クロアチア人とボシュニャク人によるボスニア=ヘルツェゴヴィナ連邦が、49%をセルビア人によるスルプスカ共和国が占めることになりました。

現在のボスニア=ヘルツェゴヴィナは、これら二つの国家から構成される連邦国家となっています。

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ボスニア内戦に関する映画

ボスニア内戦の悲劇に苦しむ女性

映画①:ノーマンズランド

ノー・マンズ・ランド Blu-ray
1470円

「ノーマンズランド」はボスニア=ヘルツェゴヴィナ出身の映画監督であるダニス=ダノヴィッチの作品です。
ボスニア内戦のさなか、ボスニア側の兵士とセルビア側の兵士が残された、中立地帯とされている塹壕のなかでの出来事が描かれます。

ボスニア側の兵士チキは、仲間のツェラの下にしかけられた地雷をを止めるようセルビア側のニノにせまりますが、新米兵士であるニノにはできません。
そんな状況の中両者がにらみ合い、銃を持ちながら互いをののしる場面が描かれます。

しかし、一方でお互いの身の上話をしたり、共通の知り合いがいることがわかるといったシーンも描かれ、内戦が始まるまでは普通の若者として過ごし、もしかしたら友達にもなれたかもしれない二人が浮かび上がります。
ボスニア内戦の民族対立がわかりやすく、またいかに残酷であるかが感じられる作品です。

映画②:ネイビーシールズ ナチスの金塊を奪還せよ!

ネイビーシールズ ナチスの金塊を奪還せよ! Blu-ray
3500円

フランス、リュック・ベッソン監督の作品です。
ボスニア内戦の末期、サラエヴォで任務に就いていたアメリカ海軍の特殊部隊、ネイビーシールズの隊員がナチスの金塊が眠る湖の話を耳にします。

隊員の一人が内戦の避難民と恋に落ちたことから、ナチスの金塊を手に入れて避難民を救い出そうと作戦を実行する、とにかく派手なアクション映画です。
ボスニア内戦は、映画の背景として描かれますが、大筋は派手なアクションシーンが目玉の作品です。

映画③:最愛の大地

最愛の大地 [DVD]
3580円

アンジェリーナ・ジョリー初の監督作品として知られる「最愛の大地」もボスニア内戦を描いた作品です。
内戦がおこる前に恋人同士で会ったムスリム人女性とセルビア人男性の物語です。

単純なロミオとジュリエットの話ではなく、戦争によって引き起こされた憎しみの悲劇が随所に描かれ、その残酷さが浮き彫りになっています。
ボスニア内戦中、捕虜となったムスリム人女性アイラはセルビア人将校となったダニエルと再会を果たします。

互いに敵同士となってしまった二人の結末には考えさせられるものがあります。

映画④:サラエボの花

サラエボの花 [DVD]

「サラエボの花」の舞台はボスニア内戦が終わった後のサラエボです。
主人公のサラは一人娘を育てる女性ですが、大きな秘密を持っています。

内戦当時、民族浄化の名のもとに多くの虐殺や集団レイプが行われました。
主人公サラも、そんな被害に遭った女性の一人でした。

内戦の時代を知らずに育った、娘のエスマに、ついにその秘密を打ち明けるシーンは感動的です。
ボスニア内戦の真っただ中をそのまま描くのではなく、その内戦による爪痕を描くことにより内戦の悲劇と癒えない傷を感じさせる映画です。

映画⑤:ウェルカム・トゥ・サラエボ

ウェルカム・トゥ・サラエボ [DVD]
7480円

ボスニア内戦を当事者である民族からではなく、報道するジャーナリストの側から描いた作品です。
ボスニア内戦は、当時多くのマスコミによって報道合戦が繰り広げられました。

主人公のジャーナリストマイケルも、目の前で市民が殺されていくのに何もできない世界情勢や、報道しても何も変わらない現実から、自分の無力さに苦しみます。
しかし、ある子供の命を救おうとすることで、一人の傍観者から当事者へ変わります。

内戦による孤児をイギリスへ脱出させようとしたマイケルの実話を基にした物語です。

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もう一度ボスニア内戦を知る

ボスニア内戦を象徴するスタリ・モスト

ボスニア内戦がおこった1990年代前半は、日本はまだバブルを感じる時代にさなかにありました。
なじみの少ない、遠い東欧での内戦は報道もされましたが、実感を伴っていたhとは少ないのではないでしょうか。

こうした民族対立に限らず、宗教的な対立や領土問題によって、今でも世界で内戦はなくなっていません
ボスニア内戦は、仲間であったはずの人々が内戦により憎しみ合う現実や、その対立をあおることで世界が動いてきた現実をもう一度見つめなおすきっかけになるでしょう。

最近では旅行先としても人気のボスニア=ヘルツェゴヴィナですが、内戦の傷跡は今も残ります。
遠い未来にまで影響する悲劇を、内戦をもう一度知ることで、改めて平和を考えてみるきっかけになるのではないでしょうか。

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