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2017/07/17

経済大国から転落したアルゼンチンのGDPと経済史

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目次

アルゼンチンの経済について

ノーベル経済学賞の受賞経験もある、アメリカの経済学者・統計学者であるサイモン・グズネッツや、ポール・サミュエルソンが好んでつかったジョークに、アルゼンチンを象徴する言葉があります。

「世界には4つの国しかない。 先進国と途上国、そして、日本とアルゼンチンである」と彼は残しています。そのように称されるアルゼンチンの経済とは、どのようなものなのかを見ていきましょう。

銀行

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アルゼンチンのGDP

あまり印象が薄いかもしれませんが、アルゼンチンは、実は、50年ほど前までは、世界で指折りの富裕国でした。平均6%もの経済成長率を30年連続記録したこともあり、国民一人あたりのGDPは世界第4位と南米でも屈指の経済大国でした。

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実は、経済大国だったアルゼンチンの経済史

世界を制するのは、アメリカか、それともアルゼンチンか。超大国と並び称されたこともあります。特に、首都ブエノスアイレスは、ラテンアメリカの要素と、ヨーロッパの要素を持ち合わせ、首都ブエノスアイレスは「南米のパリ」とも称されていました。

しかし、そんな富裕国も20世紀を迎える頃から、少しずつ経済に陰りが見えてきました。まずは、そんなアルゼンチンの経済から見ていきましょう。

アルゼンチンの経済に期待した欧米

アルゼンチンは16世紀即ち植民地時代初期にまで遡ります。国名のアルゼンチンは、ラテン語の「ARGENTUM(銀)」が転化した名称と言われています。しかし、当時は、近くに世界有数の産出量を誇ったポトシ銀山もあり、あまり開発は進みませんでした。

潮目が変わったのが、貿易港であるブエノスアイレスの再開発が始まってから。スペインの副王庁が1776年に設置され、東海岸の開発が始まりました。この結果、近隣諸国、果ては欧米との貿易が盛んになり、有数の貿易国として栄えました。

スペインからの独立と、イギリスの経済植民地化

スペインから6年間にわたる戦争の末、独立した当時のアルゼンチンの人口は、50万人程度。日本の一都市とそう変わらない人口しかいませんでした。

そこで、法律学者であったファン・バウチスタ・アルベルディは、欧州からの移民の積極受け入れと入植地開発の重要性を強調しました。また、同時に、欧米各国からの投資を募ります。入植者によって、農地開発を目指しました。

この政策が当たり、イギリスを中心に投資額が増えていきました。当時の対アルゼンチン投資額は、1位がイギリスで15億5000万ドル、2位がフランスで4億ドル、3位がドイツで2億ドルと、圧倒的にイギリスからの投資を受けていました。

結果として、イギリスへの経済従属は深化しましたが、先に述べたとおり、首都ブエノスアイレスは「南米のパリ」と称されるほど、発展しました。

有数の食糧輸出国になったアルゼンチン

移民入植が進み、鉄道網の拡大と移民による農業技術の移転から、小麦やトウモロコシなどの穀物、他にも冷凍船の開発などによる食用肉の輸出の伸長は、アルゼンチンを正解有数の食糧輸出国へと押し上げました。

現在でも、アメリカやロシアの陰に隠れていますが、世界第五位の食料輸出国です。ラテンアメリカという常に温暖な気候に適した作物の重要な供給者として、世界に影響を持っています。

主な輸出品目は、長年、洗練されて、世界的にも好評な肉製品、穀物、植物油を始め、最近では「アルゼンチンワイン」としてブランドになっているワインや柑橘類が有名です。

そして、主な輸出先は、やはりイギリスで、1910年代には輸出総額の40%、輸入総額の30%を占めていました。しかし、この発展は、裏を返せば、移民と主にイギリスからの外資によるもので、それがなくなれば、直に崩壊する危険性をはらんでいました。

事実、第一次世界大戦後、イギリスがブロック経済を形成した際には、アルゼンチンは、その枠から漏れ、これまでの好景気が嘘のように、不況になりました。

5000%のハイパーインフレを経験するアルゼンチン

アルゼンチンを経済破たんに向かわせたのは、工業化の失敗と言われます。戦後、アルゼンチンではペロン政権が誕生し、保護政策と銘打って工業化編重政策を開始しました。

しかし、この農業から工業への産業構造の改革は失敗に終わり、経済低迷の引き金となってしまいます。更に、二度に及ぶ第二次オイルショック、国内の経済政策の失敗から政権は行き詰り、結果、5000%を超えるハイパーインフレーションの時代を迎えました。

その矛先を外に向けるかのように、サッチャー政権の英国とフォークランド戦争が勃発します。一発逆転を賭けたこの争いにも敗戦し、アルゼンチンは冬の時代を迎えました。

ドルベック制を導入したアルゼンチン経済

ハイパーインフレに苦しんだアルゼンチンは、自国の通貨をドルに連動させるドルベック制を導入します。ドルが後ろ盾になったことで、ペソ通貨は安定、インフレを抑えることに成功。1990年には失業率が9%に達成するほど、V字回復しました。

しかし、天然資源や公的企業などを外国投資家に売却してしまったこと、また、その約30%がブラジルに頼る貿易も、1999年にブラジルで起こった経済危機がもとで、レアル通貨引き下げを招き、輸出は更に低迷、2001年に通算6回目の債務不履行を決行しました。

2001年の破綻後のアルゼンチン経済

2001年の通貨危機の際に対外債務不履行となったアルゼンチンですが、その後、デフォルトした国債を新たな国債に交換する債務再編を行いました。自国通貨を通貨安に誘導し、富裕層優遇政策を廃止、リーマンショックとは裏腹に、8%の経済成長を実現しました。

しかし、この債務再編に応じなかった債権者が、米国の投資ファンドがデフォルトした国債の元利支払いを求めてアルゼンチン政府を米国で提訴し、勝訴。防衛的措置として、2014年に再度、計画的債務不履行となりました。

その後、2016年にファンド側との和解が成立し、デフォルトが解消。国際金融市場へ復帰しました。今後は、対アルゼンチン金融取引が正常化することで、今後、海外から投資増加が予想され、鉱物資源開発やインフラ整備などの分野でのビジネスが見込まれています。

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「世界には四つの国しかない」の真意

アルゼンチンは、計画的な破たんを含め、記録上7回の債務不履行を経験しています。ほとんど、10年に一度のペースで債務超過に陥り、破綻を繰り返しています。さぞ、国民は悲観しているのかと思いきや、「これこそアルゼンチン」とドッシリ構えているのだとか。

経済大国から転落したアルゼンチンと、敗戦から這い上がってきた日本。そして、帝国主義を経験し、まだ世界をけん引し続ける大国と、世界の片隅で寂れる発展途上国。稀な例の二国を別枠にしたのが、グズネッツたちの言葉です。

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これからのアルゼンチン経済について

2015年に実施された大統領選挙では、野党中道右派のマウリシオ・マクリ候補がペロン党候補を僅差で破り、政権交代が実現しました。マクリ政権は、経済運営の正常化を目指しており、アルゼンチン経済は漸く健全化する見込みです。

また、アルゼンチンに並ぶ経済大国であるブラジルでも、左翼政権が2016年に崩壊し中道政権が発足しました。南米の経済大国の政変をきっかけに、今後は、他地域との協力を拡大するなど活性化するものと期待が高まっています。

しかし、ハイパーインフレや債務不履行を、幾度となく繰り返してきたアルゼンチンだけに、再び、引き起こす可能性が高いことには注意が必要です。確かに、経済大国になりつつありますが、それが完全回復と安心できるものとは言い切れません。

それをチャンスと見る動きもあります。アルゼンチンの主要輸出品目には、小麦やトウモロコシ、牛肉、そして、近年、ブランド化が進んでいるアルゼンチンワインもあります。また、工業面でも、天然ガスが有望視されています。

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経済大国から転落したアルゼンチンのGDPと経済史のまとめ

アルゼンチン経済の没落の原因を明確に解答出来る経済学者はいないでしょう。そして、6回にもわたる経済破たんし、さぞ、国家崩壊に瀕しているのでは、と思われるかもしれません。

しかし、国際的な信用がなくなっても、孤立しても、アルゼンチンは生きています。国民は、伝統のタンゴを踊り、夜にはしゃれたバーでワインを楽しむ。そういう国です。もしかすると、日本の目指すべき、経済政策のヒントが、この国にはあるかもしれません。

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