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ブラックマンデー(暗黒の月曜日)とは?原因やアメリカ・日本への影響

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目次

ブラックマンデー(暗黒の月曜日)とは?

ブラックマンデーとは、米国で昭和62年10月19日の月曜日に株式市場が大暴落となったことを指し、原因として財政、貿易の双子の赤字や、ルーブル合意、自動売買プログラムなど挙げられますが特定されていません。

日本の株式市場にも影響はありましたが、バブル経済でもあり約半年で取り返しました。

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レーガン政権時のブラックマンデーの背景とは?

史上最大規模の株価暴落

ブラックマンデーとは、直訳すると「暗黒の月曜日」を意味し、昭和62年10月19日の月曜日に、米国・ニューヨーク株式市場で、これまでで史上最大規模の株価暴落が起きたことからブラックマンデーと呼ばれるようになりました。

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ニューヨークダウ平均株価の終値が、前週末から下落率22.6%、508ドルも大暴落。これまで最大であった世界金融恐慌の引き金ともなった昭和4年のブラックサーズデーの12.8%下落を上回りました。

米国では、昭和56年にロナルド・レーガンが大統領に就任しましたが、昭和54年には第2次オイルショックによって失業率は上昇し、景気停滞、物価上昇と問題は深刻化していました。

この時に、レーガン政権が課題を解消するためにとった経済政策が「レーガノミクス」です。現在、日本の安倍政権の「アベノミクス」の元になっています。

米国の財政・貿易赤字、プラザ合意が要因に

レーガノミクスは、「社会保障の支出と軍事支出の拡大」や「個人の所得税の減税」、「米国経済への規制緩和」、「通貨供給量を抑制」などの政策により、「強い米国」を復活させることを目指しましたが、米国経済は経済成長したものの、財政赤字は拡大。貿易赤字もドル高を是正したことで拡大となりました。

ブラックマンデーの要因としては、この財政赤字と貿易赤字の拡大や、昭和60年のドル安打開のため、先進5ケ国を米ニューヨークのプラザホテルに集め、為替レートを安定化させるため、プラザ合意によりドル金利が引き上げられる予測が拡大したことが挙げられます。

最終的にブラックマンデーは、主要国の協調により世界恐慌を招くことなく終結しました。日本は当時、金融緩和政策を実施しており、世界同時株安の影響からいち早く離脱できました。

ブラックマンデー(暗黒の月曜日)の原因とは?

双子の赤字

双子の赤字とは昭和50年代、米国政府の歳入・歳出の帳尻を示す財政収支と、輸出入の対外取引の帳尻を示す貿易がともに赤字となった状態で、レーガン政権時代に問題となっていました。

レーガン政権は、減税政策により財政収支が赤字となり、不足分は国債を発行して補いますが、これが金利上昇、ドル高へ移行し、ドル高によって輸出も伸びずに赤字へと転換していきました。

減税は米国民にとっては歓迎され、消費意欲も積極的になり米国内だけの生産だけでは賄いきれないため輸入に頼ります。ドル高での輸入は輸入額が上がり、結果、貿易収支も赤字となる悪循環となりました。

双子の赤字は、国際金融市場の撹乱要因ともなり、後のブラックマンデーも双子の赤字が要因ではないかとされています。

米国の財政赤字は、後のブッシュ大統領政権下においてイラク戦争での軍事支出や、景気刺激対策への減税で赤字は拡大。平成20年には約50兆円に膨らみ過去最大となりました。

一方、経常赤字となった主因である貿易赤字は、平成18年まで5年連続して過去最大を更新し続け、平成19年には約71兆円に上りました。

ルーブル合意

ルーブル合意とは、昭和62年2月22日、パリのルーブル宮殿に集まった先進7ケ国の財務大臣、中央銀行総裁が、プラザ合意を機にドル安の加速を止めるため、為替相場を安定させることを目的に合意したことです。

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昭和60年9月のプラザ合意後、各国によって協調介入が行われ1ドル240円台だった相場は、昭和62年2月には150円台にドル安となりました。

ルーブル合意では、為替相場安定のため、緊密な政策協調を実施することを宣言しました。日本は、金融政策で日本銀行が金利を下げ、米国中央銀行のFRB(Federal Reserve Board)が利上げする政策が行われました。

ただ、その後は日米欧の協調の足並みが崩れ、米国の貿易赤字に嫌気が生じ、世界の市場へドルの流出が止まらず、ドルの下落を止めるには至りませんでした。

ブラックマンデーは、旧西ドイツ(現ドイツ)が米国の意見を無視し、西ドイツ国内インフレの懸念から金利を高めに誘導したことから「協調は破綻」と受けとられ、金利先行感が台頭したことがブラックマンデーに繋がる1つの要因ともなったと言われます。

ブラックマンデー発生によって米国では金融市場で価格急変時に一時的に売買取引を停止させ、時間を置き、状況を分析し市場を再開させるサーキットブレーカー制度が設けられ、日本の東京証券取引所などでも導入されました。

米国が迷走するなか、日本は金融緩和政策により立ち直りを見せ、金利引き下げによる投資が活発となり不動産投資などでバブル経済に突入しました。

自動売買プログラム

ブラックマンデーが起きたレーガン政権時、コンピューターにより株価が一定値、下落した場合に自動的に損切りをするなどのプログラムが増加したことで、相場が一定方向に傾きすぎる原因にもなりました。ただ、このプログラムが原因であれば、ほかの日でも大暴落した日があってもおかしくありません。

平成13年9月17日には、「人類最悪のテロ・9.11の米同時多発テロ」で休場していた株式市場が再開し、数多くの投資家が投げ売りに走り株式市場は大暴落しました。

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また、平成20年9月29日は、ニューヨークダウ平均株価の終値が、前週末から下落率6.98%、777ドルも大暴落しましたが、これは金融安定化法案が米下院で否決されたという理由があり、同月中旬にはリーマンブラザーズが破綻。金融不安は全世界に波及し「100年に一度の金融危機・リーマンショック」が起きました。

ただ、いづれも下落率はブラックマンデーの3分の1程度にしか過ぎません。ブラックマンデーの発生の原因は明確には判明していないのが結論であり、市場の原理原則から見れば、景況が右肩上がりでも数多くの投資家が投げ売りをすれば株式市場の大暴落は起きるのです。

日本は、対GDP(国内総生産)比で世界最大の債務国でありながら、金利は市場最低水準を推移し、多くの経済学者は「日本の国債は世界から信頼されている」と国債暴落説を否定していますが、100%安全とは言い切れません。

これはブラックマンデーのように、投げ売りする投資家が増えれば自動売買プログラムが誘発し、根拠のない大暴落へも繋がるのです。

<下に続く>

ブラックマンデー(暗黒の月曜日)がアメリカに与えた影響とは?

株式市場は混乱、経済低迷、銀行信用度低下、失業者増加

ブラックマンデーから30年が経ち、ニューヨーク株式市場での下落率22.6%は現在でも過去最大となっています。

ブラックマンデーよって米国はもとより世界恐慌が起こり株式市場は混乱、経済は低迷、銀行・企業への信頼は失われ、失業者が増加するなど大きな影響を受けました。

数多くの投資家が撤退したニューヨーク株式市場は信用を失い、企業や証券会社の破綻は相次ぎ、負の悪循環は金融市場だけでなくあらゆる経済の見通しを不安定にさせました。

株式や為替の大暴落は、経済に多大な影響を与えることを改めて目の当たりにしました。

コンピューター導入の自動取引で再び暴落も?

ブラックマンデーを機にサーキットブレーカー制度は、ダウ平均10%、20%、30%と下落した場合、強制的に一時的に売買取引を停止させるようにし、これまで全市場でこの制度が発動したのは平成9年の1度だけです。

規制当局は、株式市場が不安定になる要素がない場合には、市場安定を維持するルールを整備し、暴落の再発を防いでくれますが、現在は、コンピューターでの高速自動取引が主流になっているため、売買取引のスピードを見れば一部の投資家などの不安は拭えません。

また、コンピューターが株価などに応じて自動的に売買取引を繰り返すアルゴリズム取引など金融市場の安定化制御を困難にしているとの声も多く聞かれます。

現在でも1日で最大20%下落することもありえ、サーキットブレーカー制度で一時売買取引を停止し、要因を分析しても、再びブラックマンデーのような状況が起きないとは言い切れません。

ブラックマンデー(暗黒の月曜日)の日本への影響は?

日本の株式市場最悪の14.9%下落

ブラックマンデーの大暴落は、日本の株式市場以外にもロンドン株式市場やフランクフルト株式市場ほか、アジアの各市場でも連鎖が広がり、日本では日経平均株価が3,826円下落し2万1,910円と過去最高の大暴落となりました。

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下落率は14.9%と過去に例のない下落を記録し、現在でも最悪の記録として残っています。ただ、日本の下落率は欧州やシンガポール、香港と比較すると小さく、一般市民まで影響を及ぼすことはありませんでした。

日本は、ブラックマンデーの影響を受けた国の中では最も早く半年後には下落分は回復しました。

当時の竹下総理大臣は、日本銀行に対して利上げを提案していましたが、FRBが資金供給量を継続している中での利上げは難しく、金融緩和政策を持続しました。

その後は、なかなか上昇しないニューヨーク株式市場を尻目に、日本は独自の展開を繰り広げ、バブル経済は膨れ上がり株価も上昇しました。

バブル経済で乗り越えたブラックマンデー

日本は、平成元年12月には市場最高値3万8,915円を更新し、昭和61年以降、日本はバブル経済に呑み込まれブラックマンデー大暴落の危機を乗り越えました。当時は、日経平均株価5万円も夢ではないとの声が多く聞かれました。

日本はバブル経済であったため、投資意欲も高まっていたためブラックマンデーから抜け出せ、利上げが遅れて金融緩和政策を継続し続けたことで株価だけでなく、不動産価格も上昇していきました。

現在、世界の経済の今後の見通しは不透明状態です。いつ、また株価大暴落が起きるともわかりませんので、資産を守るため信用取引など有効的に活用することが望まれます。

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【コラム】ブラックマンデーと合わせて知りたいブラックサーズデイ

暗黒の木曜日、世界恐慌のきっかけに

ブラックサーズデイとは、直訳すると「暗黒の木曜日」と意味し、昭和4年10月24日の木曜日に世界恐慌のきっかけとなった米国株の大暴落のことです。

米国は第1次世界大戦の軍需によって好景気となり、黄金の時代とも呼ばれ世界中を圧巻し、平和な時代を迎えていました。

第1次世界大戦後、永遠に反映すると言われた経済が過剰生産と過剰な投資によって株価は急上昇となりましたが、同日、ゼネラルモーターズ株の下落を発端に、株式市場は取引開始からわずか1時間ほどで投資家の投げ売りが広がり株価が大暴落しました。

下落率はブラックマンデーには及ばないものの12.8%と暴落幅は低くありませんでした。

持ち直した後に「悲劇の火曜日」が起こるとは

ウォール街の証券会社や仲介人らの協議の結果、モルガン銀行が中心になって買い支えを実施。一旦は株価は持ち直したものの、翌週の火曜日に再び株価は大暴落し、「悲劇の火曜日」とも言われ、ブラックサーズデイを上回るほどの投げ売りが株式市場に殺到しました。

米国金融は、ブラックマンデー、ブラックサーズデイと2回の急激な大暴落によって景気は後退し、結果、世界恐慌へとつながっていきました。

ブラックマンデー(暗黒の月曜日)とは?原因やアメリカ・日本への影響のまとめ

ブラックマンデーは、米国の株式市場で起きた大暴落が月曜日であったことで呼ばれていますが、その、明確な原因はハッキリしません。

双子の赤字問題や、ルーブル合意での信頼性の破綻、コンピューターによる自動売買プログラムの影響などが要因としてあげられますが、断言できるものはありませんでした。

日本の株式市場も影響を受けましたが、下落率は欧州やアジア諸国に比べ小さく、日本はバブル経済絶好機でもあり約半年で影響は収まりました。

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