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2018/01/05

シオニストとは?シオニズム運動とは?背景や歴史をわかりやすく解説

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シオニストとシオニズム運動

キリスト教やイスラム教、ユダヤ教の聖地があるエルサレムがあるのはイスラエルですが、その建国は19世紀後半に起きたシオニストの活動がきっかけでした。今回は、シオニストとはどのような人々を意味し、彼らの行ったシオニズム運動とはどのようなものであったのかを見ていきます。

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シオニストとは?由来・意味は?

まずは、シオニストの由来と、そこに込められた意味について見ていきます。

シオニストとは、国家を持たない状態のまま世界中に拡散していたユダヤ人の中でも、彼らの故郷であるパレスチナ(イスラエル)に帰還し、そこに彼らによる国家を建設を実現するための運動(シオニズム)の活動に参加した人々を指します。また、文化面で古代ユダヤの文化の復興を目指す運動の担い手をも意味し、後年イスラエル建国の際にヘブライ語の復活を果たしています。

その名前の由来ですが、ユダヤ教の聖典である聖書(旧約聖書)の中に収められているゼカリヤ書の一節での神の啓示で「わたし(神)はシオンに帰り、エルサレムにただ中に住もう。」と言っているところから来ています。ちなみに「シオン」とは、エルサレム地方の古い呼び名のことで、英語では「ザイオン」と発音します。

ただし、世界中のすべてのユダヤ人がこの運動に参加したわけではなく、ユダヤ教徒でも保守的なグループの中には、ユダヤ教における救いがメシア(神が遣わした救世主)によってなされるという教えの立場からシオニストに反対する人々も少なくありませんでした。

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シオニストの背景にあるドレフュス事件

嘆きの壁

シオニストらによるシオニズム運動が起こった直接のきっかけは、1894年にフランスで起きたドレフュス事件と呼ばれるユダヤ人冤罪事件でした。この事件はドイツとの戦争に負けて経済的な危機に直面していたフランス社会の不安定な状況が背景にあり、この社会的な不安定さの中でフランスの金融業界で勢力を持つユダヤ人への反感が高まっていました。

その頃、フランスの軍内部にドイツのスパイが紛れ込んでいるという情報がもたらされ、その犯人とみなされたのがフランス軍の大尉であったユダヤ人アルフレド・ドレフュスでした。彼自身は無罪を主張してはいたものの、結局は有罪とされてしまいます。

その後、フランスの軍内部では真犯人らしき人物を発見するも、軍上層部によってもみ消しが行われたことで、フランス国内の世論が二分する事件にまで発展し、当時の大物作家であるエミール・ゾラも軍の対応を批判する記事を投稿しています。一方で、この事件に伴ってユダヤ人迫害事件も各地で頻発しました。

この事件はドレフュスが無罪を勝ち取ったこと、さらにドレフュスを擁護した政治家らがフランス政治の主導権を握る形で解決しましたが、この事件を取材していたオーストリアのユダヤ人記者であるテオドール・ヘルツルはユダヤ人国家の必要性を痛感することとなり、そのための運動を起こすことを決意しました。

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シオニストがシオニズム運動を行った目的

それではシオニストがシオニズム運動を行った目的とはいったいなんだったのでしょうか?ここでは、それについて見ていきましょう。

シオニストの目的が、ユダヤ人独自の国家を彼らの故地であるパレスチナに建設し、国際的に承認してもらうことであったといえます。ユダヤ人は紀元1世紀から2世紀にかけてローマ帝国からパレスチナを追われて以来、ずっと国を持たないまま世界各地でコミュニティーを形成してきました。

しかし、国を持たないことや、彼らが信じるユダヤ教へのキリスト教徒側からの偏見や憎悪などが原因になって長い間にわたってユダヤ人は各地で迫害を受け続けました。

そして、先ほども触れたドレフュス事件でユダヤ人に対する偏見や憎悪がいまだに根強いことに衝撃を受けたテオドール・ヘルツルによって現状を打開するためにシオニズム運動が起こされることとなりました。

なお、シオニストにはヘルツルらのように政治的な性格を帯びた人々のほかにも、文化的な性格のシオニストと社会主義的な色合いのあるシオニストとが挙げられます。前者は失われた古代ヘブライ文化の中心地としてのパレスチナの復興を、後者の場合は労働者としての入植という形でパレスチナに帰還することを目指していました。

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シオニストとパレスチナ問題

イスラエル国旗

シオニズム運動は、最終的には政治面で1948年のイスラエル建国と、文化面ではヘブライ語の復興という成果という形で達成されました。

しかし、ユダヤ人がイスラエルを建国したパレスチナには、すでにアラブ人が先住民族として定住している状況でした。すでに、1920年代から世界中のユダヤ人がパレスチナに移住し出した段階から、アラブ人との紛争が絶えない状態となっており、最終的には国際連合が仲介に乗り出して分割案を提案するという事態にまで発展しました。

この分割案は可決されたものの欧米各国とアラブ諸国との間で対立が生じ、そのさなかで分割案を根拠にイスラエル建国が行われました。このことが周辺のアラブ諸国とイスラエルの間で第一次中東戦争が勃発しました。この戦争をきっかけに多数のアラブ人(パレスチナ人)難民が発生し、今日のパレスチナ難民問題が引き起こされることとなりました。

その後、一時的にアメリカなどの仲介で和平合意を結んだこともありましたが、それも間もなく白紙となり、現在に至るまで血で血を争う事態が続いています。

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シオニストとは?シオニズム運動とは?背景や歴史をわかりやすく解説のまとめ

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シオニストらが行ったシオニズム運動は、彼らの故郷であるパレスチナにユダヤ人国家を建設し、国際的な承認を得るという目的がありました。

シオニストたちの運動をの中心となったのはテオドール・ヘルツルでしたが、彼らの活動にきっかけを与えたこととしてヘルツルが取材したドレフュス事件やそこに見られる根強いユダヤ人への偏見がありました。

そして、1948年にパレスチナにイスラエルが建国されたことで、シオニストたちの目的は達成されましたが、先住民族であるパレスチナ人との対立から今日に至るパレスチナ問題が起こり、今もなお憎悪の連鎖が続いています。

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