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2018/01/30

ウルグアイ空軍機571便遭難事故の原因や流れ、生存者のその後

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ウルグアイ空軍機571便遭難事故とは、1972年10月に同機がアンデスの雪山に墜落した航空機事故です。乗客40名乗員5名のうち29名が死亡。極寒の山間に滑落し、捜索活動は困難を極め中止、生存者がいることは絶望視されていましたが、72日後に16名が発見・救出されました。

この奇跡の生還劇の裏側には、世界を驚愕させた事実がありました。事故の原因、経緯と命をつないだ人のその後などの真相に迫り、この事件を題材にした映画もご紹介します。

ウルグアイ空軍機571便遭難事故とは

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1972年10月13日に母国を離陸した同機がアンデスの山中に墜落した航空機事故です。4000メートルを超える極寒の山間に滑落し、捜索活動は困難のあまり中止されます。

充分な食料もない中、乗客・乗務員の生存は絶望的と考えられていました。結果的には16名が生還しています。

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ウルグアイ空軍機571便遭難事故の原因

10月12日同国のステラ・マリス学園のラグビーチームメンバーとその家族や知人、40名が、試合のためにチリ・サンティアゴに向かいました。

乗員5名を加えた計45名はモンテビデオにあるカラスコ国際空港を出発しましたが、悪天候にはばまれ、途中アルゼンチンのメンドーサで一泊します。

翌日、悪天候の中、アンデス山脈の低めのところを通り抜けて山脈の西側に入り、山脈に沿って北上してサンティアゴに向かおうとします。

しかし、山脈の西側に充分に達していないうちに北上を始めてしまい、チリとアルゼンチンの国境付近の高度4,200メートルあたりで峰と衝突。

その際に吹き飛んだ右翼で垂直尾は破壊、胴体の後部に穴が空き、さらに別の峰との再度の衝突で左翼も無くなり、機体は、衝突の際に破壊され期待に激突したプロペラに切り裂かれ地面に落下、険しい崖を滑落して最終的に雪にのめり込んで停止しました。

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ウルグアイ空軍機571便遭難事故の流れ

探検

極寒雪山への墜落、遭難

飛行機の後部には多くの荷物が積まれていましたが、別の場所へ滑落。9名は墜落時に即死、乗客5名が墜落時に機外に放り出され、機内でも初日に3名が亡くなりました。残った28名にも雪山に備えた装備はありません。

墜落直後の衝撃で、骨折した人も多くいましたが、医療品もない中で、医大生2名が機内の支柱などで添え木を作り治療に当たりました。

通過する捜索機

アンデス山中で遭難した人たちは墜落二日後に3機の航空機を目撃します。特に、少し遅れて通過した1機は生存者のいる機体のすぐそばを通り、翼を振ります。生存者たちは、この光景に発見されたと信じ歓喜しますが発見には至りませんでした。

困難を極める捜索

母国ウルグアイ、墜落した国境近辺のチリとアルゼンチンと、3ヶ国から捜索隊が出動しましたが、空からは何も発見できませんでした。捜索開始8日後の10月21日に捜索活動は打ち切られてしまいます。

墜落から11日後、機内にあったラジオで「捜索中止」というニュースを受診し、生存者の絶望がさらに加速します。

わずかな食料、死への恐怖

墜落時、スナック菓子にチョコレートとワイン数本というわずかな食料があり、数日間、生存者たちはこの食料を分け合って飢えをしのぎます。死者は増加し、わずかな食料も底をつきます。低温と餓えと絶望が彼らを苦しめます。

苦渋の決断

10月下旬、食糧がなくなり、機内で議論がかわされ、ロベルト・カネッサは仲間の遺体を食料として生き続けることを提案します。

食する相手のほとんどが彼らが親しくしていた人たちであることもあり、多くの者がこれを拒否しますが、ロベルト・カネッサが主導権を握ります。

彼らは全員敬虔なカトリック教徒です。この人肉食はキリスト教の聖餐(せいさん)と同一視されると主張し生き延びます。

聖餐とは、新約聖書が伝える,イエスが十字架につけられる直前に弟子たちとともにした最後の晩餐です。生きるための究極の選択がなされたのです。

雪崩

降雪

10月29日、雪崩が起き、機体の中にまで激しく雪が流れ込み、8人が亡くなってしまいます。生きる者は19名。機体は雪に埋まり、その中で彼らは生き延びます。

11月に入ると負傷の炎症が元でさらに2人が死亡します。生存者17名。さらに12月に入って生きる者は16名になります。

遠征隊と救出

わずかに体力の残っていた2人の者は、残骸から工夫をして防寒着やソリを手作りし、山を降りることを決心します。餓えや寒さと闘いながら下山し、10日後、2人の遠征隊は村人に発見され、救出に至ります。

72日前の航空機事故に生存者がいたというニュースは世界中に注目されます。遠征隊の導きで他の生存者も救出されます。

生存者全員の救出と事実公表

16名は救助後、病院に収運ばれ、高山病・骨折・壊血病・脱水症状・凍傷・栄養失調などの治療を受けます。

当初は、機内に持ち込んでいたチーズを食べてなんとか飢えをしのいだと説明していましたが、周囲の不審もあり、家族と話し合い、遺体を食べざるを得なかった事を公にしようと考えます。

センセーショナルな報道

生存者たちが事実を公表し記者会見を行おうとしていたところ、機内に残された遺体の写真がセンセーショナルに報道されてしまいます。生き残った者たちは記者会見を行い、72日間に起きた出来事について説明します。

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ウルグアイ空軍機571便遭難事故の生存者

45名いた乗客・乗員のうち、なんとか命をつなぎ救出されたのは16名のみ。墜落後、寒さ・飢え・不安と闘いながら、彼らは生きる望みを捨てず様々な努力をし、協力し、事故の犠牲者の人肉を食べて救助を待ちます。

そして救助されることに希望がないと判明すると自ら山を降り救出を求めます。望みを捨てず、生きることにこだわり続けたことが最終的な救出につながっています。

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ウルグアイ空軍機571便遭難事故の生存者のその後

生存者はローマ・カトリック教徒であり、教会は極限状況での生きるための人食は許されると判断、この判断は、不安な思いにあった彼らと彼らの心を救います。

食人のニュースに生存者の家族はショックを受けます。体力のある者が、食糧にするために体力の弱った者を殺したのではないかという報道まで出ます。

生存者は人肉を食べるよりもむしろ死ぬべきであったとまで議論が進んだとき、カトリック教会は迅速にこうした反応を退けます。

その後、テレビなどはこの若者たちの生存への努力と忍耐を誇りにし始めます。彼らの勇気、忍耐、機転を描く記事が数多く現れだします。

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ウルグアイ空軍機571便遭難事故を題材にした映画

映画①:ハリウッド映画

「生きてこそ」は1993年のアメリカ映画。現場再現等に生存者が協力。1993年5月日本公開。

映画②:ドキュメンタリー映画

「Alive: 20 Years Later」は1993年のアメリカ映画。事故から20年後に生存者たちが人生を振り返っています。①の「生きてこそ」の制作に参加した生存者たちについて議論しています。日本では劇場未公開。

Alive: 20 Years Later [VHS] [Import]
Jill Fullerton-Smith, Jill Fullerton-Smith, Perry Schaffer, Annie Dinner, Bruce Cohen, Frank Marshall, Robert Watts

映画③:ドキュメンタリー映画

「アライブ 生還者」は2007年のフランス映画。監督はゴンサロ・アリホン (Gonzalo Arijon) 。生存者全員とその家族、救助に関わった人たちのインタビューと、生存者が墜落地点に戻る遠征を記録。2009年4月日本公開。

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ウルグアイ空軍機571便遭難事故の原因・流れ・生存者のその後 まとめ

ウルグアイ空軍機571便遭難事故についてご紹介しました。なかなか重い内容ですが、生きることへの執着や努力、その背景にある信仰心、そして、協会の存在の意義。色々なことが考えさせられる事件です。

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