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2018/02/20

財閥とは?財閥の歴史と日本のかつての財閥・現在の財閥系企業

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目次

『財閥』という言葉自体は知っているけれど、なんとなく「お金持ちなんだろうなぁ…」くらいのイメージしか持っていないという人は意外に多いハズ。今夏は財閥とは具体的にどういったことなのか、日本の財閥系企業をランキング形式で解説していきます。社会人なら知っていて損はないので、ぜひチェックしてくださいね。

財閥とは?わかりやすく言うと?

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インターネットで財閥について調べてみると、第2次世界大戦終結までの日本における同族支配によるコンツェルン型の巨大な独占企業集団と解説されています。ちなみにコンツェルンとは『出資などの資本的連携を基礎とする支配,従属関係によって形成される企業の結合体』を意味しています。

財閥をもっと簡単に表すと、一族や系列で幅広い分野の企業を独占するような大企業ということになるでしょう。例えば、親会社の会長の親戚を子会社の社長に就任させ、一族経営をするといったイメージなら分かりやすいかもしれません。

銀行や持株会社などを中心に日本経済に大きな影響力を持ち、あらゆる方面の経営を行っていただけでなく、国家権力とも密接なかかわりを持っていたといわれています。第2次世界大戦後は連合国総司令部(GHQ)によって解体されています。

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財閥の歴史

GHQによって解体されたとはいえ、現在でも持株会社やグループ企業といった形で残り続け社会に大きな影響力を持ち続けています。財閥の始まりは江戸時代にまで遡り、『鴻池財閥』『住友財閥』『三井財閥』などがありました。とくに鴻池財閥は江戸時代では日本最大の財閥と言うひともいるぐらいです。

その後、住友財閥と三井財閥は経営が順調に進み、地方から中央へと拠点を移し幅広い産業に着手して次々と成功を収め、大富豪へと昇り詰めていきます。

その後、明治維新以降には『三菱財閥』『安田財閥』などが仲間入りしています。「鴻池財閥はどうなったの?」と疑問に思う人もいるかもしれませんね。鴻池家は日本で初めて清酒を作った造り酒屋で、その後海運業に進出し、両替商に転身して事業を展開し、金融業一本に絞ってさらに大きく成長します。

明治以降の鴻池家の営業方針は堅実さを大切にしていて、政治権力者との繋がりを持とうとしなかったためほかの財閥のように成長し続けることができませんでした。1877年には第十三国立銀行を設立したものの他の諸銀行に抜かれていき、1897年に普通銀行に転換し、鴻池銀行になります。

1933年には鴻池銀行・三十四銀行・山口銀行の3行が合併して三和銀行が創設され、2001年にはUFJホールディングス、2005年には三菱東京フィナンシャル・グループと合併し、2018年2月現在では三菱UFJフィナンシャル・グループになっています。

財閥としての面影は消えてしまいましたが、現在でも不動産業を営んでいています。次の項目では日本の財閥について詳しくご紹介していきます。

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日本の三大財閥と現在に残る財閥系企業

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①:三井財閥

三井財閥のルーツは1673年に伊勢の商人である三井高利が江戸に開いた越後谷三井呉服店(現在の三越)でした。商業や金融業を営み、明治には政府との繋がりを強め、政商としてさらに成長していきました。1876年には『三井銀行』『三井物産』を創設し、明治中期には鉱工業も始めます。

第1次世界大戦から第2次世界大戦にかけて新たに会社を設立したり衰退した企業と吸収合併をして規模を広げていき、日本最大の財閥になりました。第2次世界大戦後は三井物産や三井銀行を中心として三井グループとなっています。

三井財閥の持株会社であった三井本社は財閥解体後の1946年9月に清算会社となりその後も残っていたのですが、1956年に三井不動産に吸収合併されました。

②:三菱財閥

三菱財閥が誕生したのは1870年。創業者は岩崎弥太郎で明治維新から20年間で財閥としての基礎を築き上げました。政商として海運業を独占し、1893年には『三菱合資会社』を設立し、銀行・造船・倉庫・鉱山・貿易・鉄道などなど、多角的に進出していきその地位を固めていきました。

三井財閥やあとで紹介する住友財閥は歴史を持つ旧家にあたるのですが、三菱商事は明治の動乱を政商として乗り切り、巨万の富を得て財閥へとのし上がったのが大きな違いだといえるでしょう。

急成長した三菱に対して世論の批判が湧き上がって激しいバッシングにあい、海運業をめぐって同業者との戦いが繰り広げられる中創設者である岩崎弥太郎が亡くなります。その後は弟である弥之助が総帥となり、「海から陸へ」と事業転換を図り、三菱社を新設して炭鉱、鉱山、銀行、造船、地所などに力を入れ成功を収めます。その後は弥太郎の長男・久弥や弥之助の長男・小弥太に引き継がれ、弥太郎、弥之助の兄弟家系での世襲が繰り返され発展したことから『独裁政治』と言われました。

財閥解体政策によって三菱本社、三菱商事は解散したものの、1954年に三菱商事が再合同し、1964年には三菱重工業も再合同して再びグループ化しています。

③:住友財閥

現存する財閥の中で一番古い歴史を持っているのが住友財閥です。1590年に家祖である住友政友の姉婿・蘇我理右衛門が『南蛮吹き』といわれる銅精練の技術を開発し、京都に銅吹所を設けたのが始まりと言われています。住友家は「泉屋」の商号で銅銀商を営み、大阪に拠点を移してさらに事業を発展させました。江戸時代に入るころには銅は輸出品として価値が上がり、住友の銅精錬業は大いに栄え住友財閥の起源となります。

その後は糸、反物、砂糖、薬種等の輸入品を売り、そこで得た利益で両替商を始めます。一方で幕府御用の銅山師となって日本一の銅鉱業者としても成長した住友家は、江戸時代前期には鉱業と金融業のコンツェルンを確立して慶応初期にはすでに資産家として知られるようになりました。

昭和になると住友化学や住友金属鉱山、住友電気工業などを設立し、金融では住友銀行を中核にして住友信託や住友生命保険などが作られました。住友本店は1937年に株式会社住友本社となったのですが、財閥解体を受けてしまいます。しかし、その後は再び化学や金属、銀行を中心として住友グループが再編成され現在に至ります。

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日本の四大財閥と現在に残る財閥系企業

④:安田財閥

安田財閥は安田善次郎が設立したもので、金融部門で大きな力を持っていることから『金融財閥』とも言われています。安田善次郎は奉公人として20歳で江戸に出て6年後である1866年には日本橋小舟町に両替専業の安田商店を開業し、幕府の御用両替を中心に栄えました。

1887年には安田保善社(現安田不動産)を設立し、鉱山や鉄道、倉庫など、幅広い事業を展開し始め、1893年は帝国海上保険を設立して損保業務を、1894年には生保業務も強化しています。その後も安田製釘所(現安田工業)や安田炭鉱(のちの太平洋興発)、西成紡績所を設立するなど、財閥としての地位を確実なものにしていきました。

財閥解体後、安田家は財閥家族と認定され資産の凍結や持株の放出を余儀なくされ、関連会社役員への就職も制限されますが、日本の主権が回復したあとは就職制限が解除され、芙蓉グループを新たに形成したものの同族経営による支配体制は終わりを告げています。

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日本の十大財閥と現在に残る財閥系企業

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⑤:大倉財閥

大倉財閥は大倉喜八郎によって設立されました。18歳で江戸に出て21歳で独立し、観物店である大蔵屋を開業し、その後は鉄砲屋を始めました。その流れから貿易事業を手掛けたところ、大久保利通や伊藤博文らと親交を深めて莫大な財産を築きあげます。

1872年には自費で海外視察に行き、翌1873年に帰国後は日本人初となる貿易商社『大倉組商会』を設立し、1874年にはロンドンに支店を作っています。1900年に大倉商業学校(現、東京経済大学)、1907年には大阪大倉商業学校(現関西大倉中学校・高等学校)を創立しました。

財閥解体後の1946年に『内外通商』と名前を変えて再出発を図り、大倉商事は世界各地に事務所を設立します。しかし、傘下に金融機関がなかったことから経営不振に陥った大倉商事はそのまま終わりを告げ、125年の歴史に終止符が打たれました。

⑥:古河財閥

古川財閥は古河市兵衛が設立したもので、1875年に創立された古河本店(現・古河機械金属)がルーツとなっています。鉱山開発事業で成功し、事業の多角化・近代化を進めていきました。財閥解体後は金属・電機・化学工業などを中心とした古河グループ(古河三水会)を形成し、現在に至っています。

主な傘下には古河電気工業、富士電機製造(現・富士電機)、富士通信機製造(現・富士通)、古河銀行(現・みずほ銀行)、大成火災海上保険(現・損害保険ジャパン日本興亜)などがあります。

⑦:浅野財閥

浅野財閥は浅野総一郎が設立したもので、コークス販売で成功を収めたのをきっかけに、渋沢栄一の渋沢財閥の支援を受けながら成長した財閥です。1884年に「浅野セメント」(後の日本セメント)を創立し、これを中核企業として発展しました。

上記で紹介した安田財閥の安田善次郎と同郷で関係も深く、支援も受けていました。そのおかげで1896年には東洋汽船を設立して造船や鉄鋼業も始めています。1908年に鶴見埋立組合(後の東亜建設工業)を設立し、1918年には浅野総一郎により一族の投資による証券保有会社『浅野同族株式会社』が設立され、財閥として不動の地位を確立しました。

財閥解体後、傘下に入っていた企業は旧安田財閥系の企業集団、芙蓉グループに入っています。

⑧:野村財閥

野村財閥は野村徳七によって設立されたもので小規模両替店から証券業務に参入しました。1918年に大阪野村銀行(現在のりそな銀行)を設立し、1922年には野村合名会社を設立。その後1925年には大阪野村銀行の証券部を分社化して野村證券を起ち上げました。

貿易、保険、工業、紡績なども行っていますが、主に金融業に力を入れています。財閥解体後、野村財閥の歴史や野村グループの管理は野村貿易や野村證券が主に行っています。

⑨:鮎川財閥

鮎川財閥は日産コンツェルンとも呼ばれていて、日立鉱山をルーツにもつ財閥です。機械・銅線部門を独立させて創られた日立製作所や持ち株会社・日本産業をもとにコンツェルン化されていました。新興財閥として知られていて、製造業では三井や三菱といった巨大財閥よりも大きな規模を誇っていました。

しかし、金融・商事部門は弱く、財閥解体後は再び結成することなく終わりを迎えています。『日産』の名前を継いだ会社としては自動車部門の『日産自動車』が有名です。

⑩:中島財閥

中島財閥は第二次世界大戦中に急成長した財閥で、軍用機の生産のほかに鉱山・貿易・水産などにも進出していました。1917年から1945年という短い期間に存在し、中島知久平によって設立されています。エンジンや機体の開発を得意とし、自社で一貫生産ができるほどの高い技術力を持っており、第二次世界大戦終戦までは東洋最大、世界有数の航空機メーカーでもありました。

財閥解体後は航空機の生産・研究は禁止され、12社に解体されています。中島の後身である富士重工業(現・SUBARU)は自動車産業(スバル)に進出していて、1950年には航空機産業にも参入しています(富士重工業#航空宇宙部門)。

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日本の十五大財閥と現在に残る財閥系企業

⑪:渋沢財閥

渋沢財閥は渋沢栄一によって設立されたもので、1873年に第一銀行(後の第一勧業銀行。現在のみずほ銀行の前身の一つ)を創設した人物でもあります。栄一は個人的な利益には興味がなく、日本のために企業を起こし軌道に乗せることが責務だと考えていました。

その一方で起業した企業が順調に成長すればおのずと資産も増えていき、自身の死後に財産争いが起こることを恐れるようになりました。そこで栄一は栄一や一族の所有する財産の管理・運営を行う『渋沢同族株式会社』を1916年に設立。この持株会社が財閥形成のもとだと言われています。

財閥解体後は第一銀行及やその後身となる第一勧業銀行を中核として渋沢財閥の流れを汲む第一勧銀グループが創られています。渋沢の名を残す主な企業は2017年の時点で澁澤倉庫のみとなっています。

⑫:神戸川崎財閥

神戸川崎財閥は男爵川崎正蔵により兵庫に設立されたもので、「川崎正蔵財閥」と呼ばれたり、後継者の松方幸次郎から「松方コンツェルン」と呼ばれることもあります。「川崎財閥」と呼ばれることもありますが、東京の川崎財閥とは別物になります。

1878年に川崎築地造船所を設立し、十五銀行を主力行として昭和初期まで順調に経営していましたが、その後の後継者の失敗で部下が離れていき、川崎汽船、川崎重工業といった有力企業が次々に独立していきました。

川崎財閥は1927年の金融恐慌で衰退するのですが、主力企業であった川崎造船所は独自で再生し、1938年には川崎重工業に社名を変更しています。

⑬:日窒コンツェルン

日窒コンツェルンは野口遵によって設立されたものです。1906年に野口が曾木電気株式会社創立し、1908年には日本カーバイド商会と合併し、日本窒素肥料(日窒・現在のチッソ)を設立しました。石灰窒素・硫安の製造に成功し、人絹工業、合成アンモニアの製造にも成功していました。

しかし、第2次世界大戦で日本が敗北したことから総資産の約90%を失い、財閥解体によって解散しています。

⑭:理研コンツェルン

理研コンツェルンは上記で紹介した渋沢栄一が設立した財団法人理化学研究所の研究結果を企業化し、そこから設立された関連会社から成る財閥です。財閥解体によって持株会社である理化学興業は解体されました。

⑮:日曹コンツェルン

日曹コンツェルンは1920年に中野友禮が設立した日本曹達がもととなって誕生した昭和の新興財閥のひとつです。大学時代に中野が食塩電解法によるソーダ製造に成功して特許を取得し、その技術をもとに作られたのが日本曹達株式会社でした。

株式公開で得た資金を使ってソーダ生産企業を次々と傘下におさめ、規模を大きくしていきます。しかし、1930年代の後半には借入金が増えたことと急速な成長による組織の未整備が原因で事業が悪化し、中野は退陣せざるを得ませんでした。その後は政府手動によって事業統合がされ事実上の解散となり、戦後の財閥解体によって正式に解体に至りました。

2018年2月時点で事業を受け継いでいるのは日本曹達、大平洋金属、日曹金属化学などがあります。

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財閥のことがよくわかる本

おすすめ①

「三大財閥を知っておけばまぁいいかな」という人には『三菱・三井・住友 「三大財閥」がわかる本 』がおすすめ。財閥の歴史がとてもわかりやすく書かれていて、とくに「どうして一回なくなっているのに、今でも大企業として名前を連ねているの?」と不思議に感じる人はこの本を見れば納得できるはず。

財閥とはいったい何なのか、どの財閥がスゴイのかを知りたい人も必見ですよ。

おすすめ②

15大財閥をしっかりと理解しておきたい、という人には『日本の15大財閥―現代企業のルーツをひもとく』がおすすめです。きれいにまとまっていて読みやすく、簡略化されているので要点を知りたい、という人にも使えます。情報量も多いので、一冊持っていて損はありません。15大財閥の特徴が的確に書かれているので、読んでいてもストレスは感じないハズ。

おすすめ③

最後にご紹介するのは『財閥の日本史』。家計図を使って分かりやすく解説していて見やすいことと、財閥の成立・発展・衰退の道のりをダイジェストに見ることができるのがポイントです。「言われてみればどうしてなんだろう?」と思う部分を的確にとらえてあるので、見ていていろいろな発見があるはずですよ。

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『財閥とは?財閥の歴史と日本のかつての財閥・現在の財閥系企業』まとめ

財閥とは何なのか、その歴史や繁栄の流れなどを解説してきましたが、いかがでしたか?財閥についてもっと詳しく知りたいという人はぜひご紹介した本を手に取ってみてください。きっとそれぞれの歴史に引き込まれておもしろく感じてきますよ。

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