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2017/05/29

父親の60億円の借金で大きく変わった高橋由伸のプロ野球人生

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高橋由伸とは

みなさんご存知であろう読売ジャイアンツの監督の高橋由伸監督。彼の人生は波乱万丈で、父親の借金で大きく変わったことを知っていますか。今回は彼の野球人生、ドラフトの裏で何が起こっていたのか、紹介していきます。

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高橋由伸は、1975年生まれの元プロ野球選手です。現在は読売ジャイアンツの監督をされています。千葉県出身で、桐蔭学園高等学校、慶應義塾大学を卒業し、1997年のドラフト会議において、1位指名で読売ジャイアンツに入団します。ベストナイン賞を2回受賞、ゴールデンクラブ賞を7回受賞し、野球界きっての名選手です。奥様は元日テレアナウンサーの小野寺麻衣さんで、現在2児の父親です。

高橋由伸が野球と出会った小学生時代

高橋選手は、小学4年生で地元の少年野球チームへ入団すると、すぐに才能を見出され、6年生中心のレギュラーに唯一入ります。5年生のときに、3番ショートでチームの県大会優勝、6年生のときには4番・エースで2連覇を果たします。また、練習は常に父親としており、幼少期よりお父さんっ子だったそうです。

高橋由伸が野球の道へ進むことを決めた中学生時代

中学時代は、4番エースとして、チームを全国大会2連覇に導きました。途中「野球を辞めたいと」何度も思ったそうですが、父と兄に力ずくでグラウンドまで連れていかれたそうです。中学3年のときの成績は、26試合で打率5割5分、17本塁打、65打点だった。このタイミングで将来のことを考え野球を辞めようとしていたそうだが、父親に「あと3年頑張って俺を楽しませてくれ」と言われ、父の願望もあり高校で甲子園を目指すことにした。

高橋由伸の桐蔭学園野球部時代

高校は、数あるスカウトの中から、桐蔭学園高等学校を選びます。期待の投手として入部しますが、入部まもなく監督から右翼手への転向を勧められ、高橋は迷ったが、転向すればレギュラーになれるという条件を飲み、転向します。そのため、1年生のころからレギュラーとして活躍しました。1.2年生のときには甲子園に出場しましたが、3年生の時には出場することができませんでした。その後、指定校推薦で慶應義塾大学へ進学します。

高橋由伸の慶應義塾大学時代

慶應義塾大学の野球部では1年時からレギュラーで、春季リーグの1試合目から出場し、ルーキー新記録の3本塁打を放ちました。4年時には主将となり、春季リーグでは9年ぶりのリーグ優勝へチームを導きました。その後のドラフト会議で、中日ドラゴンズ、日本ハム、広島カープ以外の9球団から指名が入り激しい争奪戦になりましたが、最終的に、ヤクルト、西武ライオンズ、ジャイアンツの3球団に絞り、最後はジャイアンツを逆指名し入団に至りました。

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借金によって大きく変わった高橋由伸の人生

高橋選手のころのドラフト会議では、大学ドラフトのみ「逆指名」という制度がありました。通常のドラフトでは、チームが選手を選びますが、逆指名の場合は選手がチームを選びます。高橋選手はドラフトではヤクルトを逆指名すると言われており、巨人は絶対選ばれないとされていました。しかし、巨人に入団するきっかけになったのは、裏で借金が絡んでいたのです。

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注目を集めた大学時代の高橋由伸

高橋選手は、慶應義塾大学で入学時から主戦力として活躍し、大学3年の時には打率5割以上で5塁打を記録し、三冠王を獲得するなど大活躍をしていました。日米大学野球の際には、決勝点を出し、日本の優勝へ大きく導きました。この活躍のため、大学ドラフトでは1番人気の選手となり、地元チームのロッテでは高橋選手から逆指名を受けるために、ファンが署名活動を行ったほどです。ドラフト会議では、9チームから指名が入りました。前述のように、最終的に高橋選手は読売ジャイアンツに入団することとなりました。

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高橋由伸の父親の借金とドラフト会議

ドラフト会議が行われていた当時、高橋選手の父は不動産会社の経営を行っていました。経営は順調ではなく、所有していた土地がバブルの影響を受け、大きな損失を出していました。その負債は60億円。そんな簡単に払うことのできる金額ではありません。

しかし、読売ジャイアンツが、「高橋選手がジャイアンツを逆指名すれば、父の借金の60億円を返済する。」という条件を出したのです。その条件が提示されるまでは、本人はヤクルトに入団する気でしたが、父親を助けるためにその条件を飲んだのです。

また、ヤクルトが10億円の裏金を用意したという噂もありますが、ジャイアンツの全額返済には敵わなかったようです。彼は、家族を助けるために、自分の夢より家族を救う道を選んだのです。

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高橋由伸が借金を返す方法はそれしかなかったのか

現在は、自己破産や債務整理などの制度があり、60億ほどの借金をまるまる背負うという状況は少ないと思います。当時も、破産法や和議法など、倒産にかかわる救済法律の制度は整っていました。破産法を使うことにより、60億円の借金は0にできますし、子供には影響はないため、破産法を使うことができてもなぜ使われなかったのでしょうか。以下の3つの理由のどれかが原因だと思います。

体裁を守るため

当時の段階では、高橋選手の父の借金の話は表に出ていませんでした。破産法を適用し、手続きを行うと、破産者の情報が官報により公開されてしまうため、これからプロになる息子の評判を落とさないように、申請を避けたのではないかと思われます。

申請の適用外だった

破産法の適用になるためにはさまざま条件があります。通常事業による損失であればほぼほぼ適用されるので、この可能性は非常に薄いと思われます。

債権者の圧力により破産法の適用が阻止されていた

当時はバブル崩壊の影響で、銀行も非常に経営に苦しんでいる時期でした。そんな中60億の貸金がなくなるのは銀行にとっては大ダメージです。何かの力が働き、破産法の申請が阻止されていた可能性もあります。
また、不動産業ということから、闇金から借りていたのかもしれません。

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現在も続く高橋由伸の父親の借金の影響

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現在は監督業をしている高橋選手ですが、今でも借金の肩代わりの影響は続いているそうで、監督業へ転向するときもまだまだ選手として活躍できる状況でしたが、借金の件があり、球団からの打診を断れなかったと言われています。

父親の借金がなければ、自分の好きな球団に入り、夢をかなえることができ、最後自分の納得がゆくまで野球人生を楽しんでいけたのではないかと思います。また、父親は、借金が完済したあと、ふたたび大きな借金を抱えることとなります。

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父親の60億円の借金で大きく変わった高橋由伸のプロ野球人生のまとめ

彼の人生は良くも悪くも父親に左右されてきた人生といえるでしょう。野球を続けてきたのも父親のおかげですし、野球で生きていくきっかけを作ったのも彼の父親です。
彼はお父さんっ子だったそうなので、その決断に後悔があるのかはわかりませんが、とても辛い選択を強いられたのは間違いないです。

このように、借金は自分だけでなくまわりの人まで巻き込んでしまうものです。ここまで巨額な負債をかかえることはあまりないかもしれませんが、家族や子どもに迷惑がかからないように、お金の管理はきちんと行っていきたいものです。今後も監督として、日本の野球界を牽引していってほしいです。

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