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2018/04/19

懺悔とは?意味は?懺悔をしたい時のやり方は?

過去に自分がやってしまったことを後悔するのは、誰にでもあることです。過去を振り返り、あんなことしてしまい恥ずかしいとか、もっと上手く出来たのにという後悔なら罪悪感はありません。しかし過去に自分がやってしまったことに対し、強い罪悪感がある場合はそれを自分の中で処理しきれません。
懺悔は過去の行動に対し罪悪感がある場合にすることです。懺悔は教会で行うものというイメージが強いですが、仏教にも懺悔はあります。あまり知られていない、仏教の懺悔について解説します。

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「懺悔」とは?意味は?

映画やドラマのワンシーンで、教会に行き自分が過去に犯した罪を告白する、というシーンを見たことがある人も多いのではないでしょうか?懺悔は自分が犯した罪を神に打ち明け、許してもらうという意味があります。

教会の場合は告白する相手は司祭ですが、司祭以外の人でも告白すれば懺悔になります。ただし懺悔は自分の罪を告白するだけでは成立しません。告白した後に、二度と同じ過ちを繰り返さないと誓い自分の考えを改めるところまでが含まれます。

誰にも相談できない悩みを抱えていると、頭がいっぱいになってしまいますし、そのことだけに囚われてしまい他のことが疎かになってしまいます。悩みがあるときは、誰かに話すと気持ち我楽になるとか、肩の荷がおりたと表現しますが、懺悔もこれに共通した部分があります。

懺悔をしたからといって、過去の過ちが帳消しになるわけではありません。帳消しにはならないものの、人に打ち明け許しを請うことで罪悪感が薄れ、ずっと囚われていたことから開放されるのです。

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仏教では懺悔すると罪が消える?

仏像

懺悔は教会で行われている印象が強いですが、実は仏教にも懺悔があります。仏教では懺悔と書いてさんげと読みます。仏教では仏に対して罪を告白し、許しを請います。

罪を告白し許しを請うことで気持ちが楽になる、というのは宗教や懺悔をする場所に関係なく共通しています。懺悔をすることで罪が消えるとされていますが、帳消しになるわけではなく、心が解放されるという捉え方がいいかもしれません。懺悔をしたらそれで終わり、というわけではなく、二度と同じ過ちを繰り返さないと誓いそれを常に忘れないようにすることが大切です。

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懺悔と後悔の違いとは?

自分が犯した過去の過ちを思い出し後悔するのと、懺悔するのとでは何が違うのか?自分が過去に犯した過ちを告白し、二度と繰り返さないと誓うのが懺悔です。

後悔は、「ああすればよかった」とか、「あんなことするんじゃなかった」と考えることですが、その瞬間はそう思い反省しても、喉元すぎればなんとやら…で、時間が経つとまた同じ過ちを繰り返し後悔します。

懺悔は、罪を認め正直に打ち明けもう同じことは繰り返さないと誓い、その誓いをずっと自身の中に忘れないよう留めておくことです。後悔はその瞬間は反省しますが、時間が経てばまた繰り返します。懺悔と後悔の違いは、繰り返すか繰り返さないかの違いです。特に仏教では、懺悔してもまた同じ過ちを繰り返した場合は懺悔にはならず、単なる後悔になってしまいます。

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懺悔と謝罪の違いとは?

懺悔と謝罪もよく似ているように思われがちですが、本質は全く違います。謝罪は自分が犯した罪を侘びることです。謝罪の際は「ごめんなさい」とか「申し訳ございません」という言葉を添えます。謝罪は自分以外の第三者に対して、自分がやったことに対して行うものです。

一方懺悔は、キリスト教では神に、仏教では仏に対して過ちを告白し許しを請うので、対象が異なります。謝罪は自分以外の第三者という目に見える存在に対して行うのに対し、懺悔は目には見えない神や仏に対して行うものです。実際には司祭や僧侶など、人が代わりに告白を聞きますが、その対象は人ではなく目には見えない存在です。

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仏教での懺悔は3種類ある

懺悔したい人

キリスト教では懺悔に種類はありませんが、仏教では懺悔に3つの種類があります。下品・中品・上品に分かれていて、それぞれに懺悔の仕方と意味が異なります。仏教における懺悔を種類別に説明します。

下品の懺悔

下品と書いてげぼんと読みます。下品の懺悔をする様を、「目から熱い涙を流し毛穴からは熱い汗を流しながら、自分の過ちを認め許しを請う」と表現します。想像しただけでもかなり激しい懺悔という印象ですが、仏教の懺悔では一番軽い懺悔とされています。

ポイントとなるのが、目と毛穴から出る熱い涙や汗です。泣くだけでは懺悔とは認められず、ただの後悔となってしまいます。実際に熱い涙や汗を流すのは難しいですが、そのくらいの気持ちで懺悔しなさいと考えるといいかもしれません。

中品の懺悔

中品と書いてちゅうぼんと読みます。なんとなく想像できるように、下品よりもちょっと重いい見合いがあり懺悔をするときの様子も変わってきます。中品では、毛穴から熱い汗が出るのは同じですが、目からは熱い汗ではなく血の涙を流します。さらに自分の過ちを認め二度としないと誓わないといけません。

下品よりも罪が重くなるため、懺悔の際自分の犯した過ちの重大さに気づき、思わず血の涙を流すくらい反省し改めようと誓うという様を表しています。血の涙は自分の意思で流すのは無理がありますが、なんとなくとか軽い気持ちですることではないというのはお分かりいただけるでしょう。

上品の懺悔

上品とかいてじょうぼんと読みます。仏教の懺悔では最上級に重い懺悔です。上品の懺悔は目からも毛穴からも血を流しながら、自分の罪を認め同じ過ちを繰り返さないと誓うとされています。

仏教では3種類の懺悔があると言われていますが、一説によると上品の懺悔以外は後悔とするという考え方もあるようです。仏教では懺悔を罪の重さではなく、懺悔の仕方で判断します。一般的な懺悔のイメージとはかなり異なり、その光景を想像するとちょっと引いてしまうくらい重いイメージです。

懺悔は人に強要されてするものではなく、自分の意思で行うものです。懺悔をしようとおもう理由は人それぞれですが、仏教では軽い気持ちで懺悔してもただの後悔となってしまうので、懺悔するなら生半可な気持ちではなく、真摯に悔い改めなさいという教えなのです。

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仏教での懺悔のやり方は?

仏教の懺悔は、下品・中品・上品の3種類があるとされていますが、実際には熱い涙や汗も、血を流すこともありません。そのくらいの気持ちで臨みなさいという意味です。仏教で懺悔をする際のやり方を紹介します。

仏教では仏に対して懺悔をします。対象は仏以外に菩薩というケースもありますが、実際に仏や菩薩は目には見えないので、代わりに自分の師に罪の告白をします。仏教における懺悔も、罪を告白するだけでは終わらず、最後に二度と同じことをしないと誓うところまで含まれます。

出家した僧侶は、定期的に布薩を行いそのときに懺悔をします。布薩は半月に1度行われており、その場で僧侶たちが懺悔を行っています。自分の犯した罪を告白する以外に、懺悔を文章にする偈文という方法もあります。形は違いますが、意味合いは同じです。

そんなにしょっちゅう懺悔しているの?と思ってしまいそうですが、知らない間に犯してしまう罪は意外に多く、布薩によって懺悔をして気持ちを鎮めるとか落ち着かせるという目的があります。

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修験道での懺悔の意味とやり方は?

懺悔は仏教やキリスト教以外でも行われています。山にこもり修行をする山伏は、修験道という宗教の教えに従い修行をしています。日本だけの宗教ですが、山伏たちも懺悔を行います。

意味

修験道での懺悔の意味も他の宗教とほぼ同じです。自分の犯した罪を告白し、二度としないと誓ます。修験道での懺悔は修行のひとつと考えられているので、何かを下から懺悔するのではなく修行の一環として必然的に懺悔をしているのです。

やり方

修験道での懺悔は、懺悔懺悔六根清浄という掛け声とともに行われます。他の宗教との違いはそのやり方にも特徴が現れています。仏教やキリスト教では、静かな場所で神や仏に対して懺悔しますが、修験道では大勢の山伏が大きな声で「懺悔懺悔六根清浄」と唱えるというちょっと変わったやり方です。

山にこもり連日の厳しい修行を行うので、屈強な山伏も疲労困憊でくじけそうになることはあります。そんな時は皆が一丸となり大きな声で、懺悔懺悔六根清浄と唱えるとやる気が出て修行に集中できるようになると言われています。

修験道では山そのもの神とされているので、懺悔は山に対して行います。神や仏は目に見えないため、代わりに司祭や僧侶に罪を打ち明けますが、対象が山というのも修験道の特徴です。

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キリスト教での懺悔の意味とやり方は?

懺悔室

意味

懺悔というと、多くの人が教会の片隅で静かに行われる光景を思い浮かべるのではないでしょうか。教会にある狭い部屋で静かに罪を告白するのが懺悔というイメージですが、キリスト教ではこれを告解と呼びます。懺悔というと教会の…というイメージが定着していますが、キリスト教では懺悔とは言わずに、告解としています。

やり方

キリスト教では懺悔と言わず、告解としていますので告解としてやり方を説明します。教会の片隅にある狭い部屋に入ります。その部屋は告解部屋と呼ばれていて、仕切りを隔てた場所には司祭がいます。告解は本来神に向けて罪の告白をしますが、司祭が神に変わって告白を聞いてくれるのです。

映画などでは人を殺めたことを告白するシーンがありますが、司祭は告解で聞いたことは絶対に他言してはいけないことになっています。映画ではこういう場合でも司祭は通報しませんが、実際にはどうなのでしょうか?ケースバイケースという前提はありますが、基本的にいかなる内容であっても司祭は他言しないとされています。ただし見てみないふりをするのではなく、自首をすすめることはあるようです。

宗教を重んじる場合は他言しないのが美徳とされますが、告解の内容によっては、司祭の判断で通報するというケースはあります。原則は他言してはならないとなっていますが、神に仕える者として受け止めるか、一市民として考えるかの違いはあるようです。

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カトリック教会ではだれでも懺悔ができるの?

キリスト教には、カトリックとプロテスタントと正教会という宗派の違いがあります。日本の仏教にも宗派の違いはありますから、それと同じイメージです。同じ宗教でも宗派が違うと考え方も違ってきます。

懺悔をしたいときは教会に行けば誰でも懺悔できると思われがちですが、カトリック教会の場合は、注意が必要です。カトリック教会で懺悔できるのは、洗礼を受けた信者だけです。カトリック教会では懺悔を赦しと表現しますが、赦しを受けたい場合は洗礼を受けるしかありません。ただしミサには信者以外も参加可能となっています。どうしても話を聞いて欲しいとか、罪を打ち明けたいと言う場合は正式な赦しとしての扱いではありませんが、司祭に相談するという名目で話を聞いてもらうことはできます。

どうしても教会で懺悔したいことがあるが、信者ではないし洗礼を受けるのも抵抗があるという場合は、ミサに参加して司祭に相談という形でなら話をすることができます。実際の懺悔とは少し違いますが、話すことで気持ちは楽になるかもしれませんね。

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懺悔守りとは?

仏教における懺悔には、懺悔守りというのがあります。懺悔守りとはどういう懺悔なのかを説明しましょう。

一般的に懺悔は自分が過去に犯してしまった罪を告白し、許しを請い二度としないと心に誓うことです。懺悔をすることにより、やってしまった事実は消せませんし、罪が帳消しになるわけではないものの、気持ちは少し楽になります。懺悔をしたらそれで終わりではなく、その後も同じ過ちを繰り返さないよう努力することが大切です。

罪や過ちという意味では、過去世にも自分が知らないだけでなにか罪を犯してしまった可能性があります。自分ではなくても、自分と関わりのある先祖がなにか罪を犯していたということもあるでしょう。懺悔守りは自分のことだけでなく、過去世の自分や先祖の分も一緒に懺悔することです。

懺悔守りをすると、健康・仕事・縁の3つの運がいい方向に変わるとされています。懺悔守りをすると、お守りをもらいます。懺悔守りは普通のお守りとは違い、身に付けずにその場で奉納します。お寺に行けば懺悔守りを受けることができますが、お寺によって時間帯が異なるので確認してから行くことをおすすめします。

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懺悔とは?意味は?懺悔をしたい時のやり方は?のまとめ

祈りを捧げる司祭

懺悔というとどれも同じような意味合いに思われがちですが、宗教によって意味合いやり方、懺悔する対象は違っています。普段はあまり意識することはないとしても、心の中に抱えていることがあるなら懺悔してみるのもいいかもしれません。

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